2020年レギュラーシーズン本拠地最後の試合は、ジャイアンツファンの記憶に一生残る試合になりました。
試合を簡単に振り返ってみましょう。
試合を振り返る
初先発の横川凱は丁寧なピッチングで5回を3安打1失点に抑え、勝ち投手の権利を持って降板しました。
前回の初登板時は特に印象に残らなかったものの、この試合では重そうなストレートが良い感じでした。
球質的に三振をバンバンとれそうな気はしませんが、もっと球速を上げてコースを丁寧につく投球ができれば、ゴロの山を築くピッチャーになれそうです。ナイスピッチングでした!
しかし、6回からの継投で4番手の田中が登板すると、制球の乱れからピンチを迎え、山崎に逆転満塁ホームランを被弾してしまいました。
数々の偉大な投手が通ってきた道ですね。ドンマイ!2年目でこの経験を一軍で積めたことは大きいと思います。
今後先発やリリーフとして登板するとき、「打たれたくない」という気持ちをより強くしてくれることでしょう。
結局、この一打が決勝点となりホーム最終戦は敗北に終わりました。
打たれた田中も10月2日の阪神戦で1失点して以来11試合連続無失点で抑えていたのですが、プレッシャーは相当なものだったのかいつものような投球はできませんでした。
最後の一球も押し出しを恐れてか完全に置きにいったボールに見えました。それだけ点を与えたくなかった、チームを勝たせたかったということなのでしょう。
本当にプロの世界は厳しいですね。気持ちを切り替えて頑張りましょう!
坂本勇人、通算2000本安打達成!
もちろん試合に勝てれば最高でしたが、この試合で多くのファンが注目したのは、やはり坂本キャプテンの通算2000本安打達成でしょう。
残り試合もあとわずかとなり本拠地で戦えるのはこの試合が最後でした。
こういう場面で1打席目にきっちりと記録を達成できるのが、「持っている」と言われる所以なのでしょう。
坂本は球団広報を通じて、「早く打ちたいという気持ちがあったのでほっとした」とコメントしていましたが、その気持ちが表情に表れていました(笑)
相手チームの山田から花束を渡された際には、少し照れくさそうにしている姿が印象的でした。
史上53人目、球団では6人目となる2000本安打達成、本当におめでとうございます!
勝手なイメージかもしれませんが、これまで2000本安打を達成した選手の多くは、40歳前後で全盛期を過ぎていて、「なんとか達成できた」という感じがありました。
しかし、坂本はこの試合でホームランを含む3安打を放ち、一気に2002本まで記録を伸ばしました。
まだまだ推進力を失っていないところを見て、もしかしたら本当に3000本も夢ではないかもという気持ちにさせてくれました。
坂本は本当にすごい選手だ!
「持っている」選手・坂本勇人を支えた人々
この試合はデーゲームだったので、もう少し早く記事を書きたかったのですが、記念セレモニーを何度も見たり、月刊ジャイアンツの坂本特集などを見ているうちに、いつの間にか日付が変わってしまいました。
坂本特集というのは、約1年前から掲載されている「HAYATO SAKAMOTO 2000安打へカウントダウン」というコーナーのことです。
そこでは、坂本に縁のある多くの人々が様々なエピソードを語っていて、それがとても興味深い。
大森剛編成本部統括スカウト
まずは坂本をスカウトした大森剛編成本部統括スカウトの話から始めましょう。
2000年からスカウトになった大森さんは、坂本を1年の秋に初めて見たとき、ショートとしての雰囲気やシルエットを見て「この子はいい!」と思ったそうです。周りの評価には「腰高、股関節が硬い、肩が弱い」などもあったとのこと。
そして、2年のときには「20年に一人の逸材。巨人に必要だ。欲しい。」と思ったと、テレビのインタビューで答えていました。良い選手や欲しい選手は、第一印象からドラフトまで全く変わらないらしいのですが、それが坂本だったそうです。
2006年の高校生ドラフトでは、ジャイアンツは駒大苫小牧のマーくんか愛工大名電の堂上かで迷った末に、堂上を指名しました。チームとしての特A評価は、投手ではマーくんと現ロッテの大嶺祐太、野手では堂上の三人だけだったようです。
しかし、大森さんは野手では坂本が一番だと思っていたようで、阪神、中日との抽選の際は「原監督、頼むから外してくれ」と心の中で叫んでいたそうです(笑) 原監督、グッジョブ!
原監督はこのドラフトに臨むにあたって、「内野にスーパーヒーロー、スーパースターをつくりたい。」と語っていました。その夢は、堂上ではなく坂本が叶えることになりましたね。
大森さんはリーグ史上6人目となる三冠王という実績を携えて、1989年に慶応大からドラフト1位でジャイアンツに入団しました。
しかし、7年間のプロ生活で打率は1割台、通算27安打5本塁打と球団が期待したような結果を残すことはできず。
それでも、大森さんは坂本勇人というNPB史上に残る偉大な選手を発掘し、球団に大きく貢献しました。
現役時代には思うような結果を残せなかった大森さんが、スカウトとして球団の未来を担う選手を見出したというのはとても興味深いエピソードですね!
福王昭仁元内野守備走塁コーチ
次に、福王昭仁さんの話も興味深いものがありました。
坂本は才能と強い体、そして努力によって今の地位を築いたという話です。
当時内野守備走塁コーチを務めていた福王さんは、今まで見た高卒選手とは比べものにならないほど強い坂本の体に驚いたとのこと。
シーズンに入ると、試合があろうが1日練習だろうが、その日のメニューが終わると欠かさずノックと打撃練習を行っていた坂本。ホームだけでなくビジター後も。
福王さんは後にも先にも休養を勧めた選手は坂本しかいないと語っていました。
当時寮長を務めていた樋沢良信さんの話では、坂本は「もっと努力すればよかった」と泣きながらジャイアンツをやめていく選手の姿をじっと見ていたそうです。最後の時に悔いが残らないよう、必死に頑張っていたのかもしれませんね。
最近は若手に良い影響を与えるために、皆の前で努力している姿を見せることも増えてきた坂本ですが、若い頃から誰よりもたくさん練習していたというエピソードはとても興味深いものでした。
福王さんは最後に、「もし坂本の一軍デビューがあと2、3年遅れていて、二軍の練習量で鍛えていたとしたら、間違いなくメジャーに行けるレベルになっていた」と締めくくっています。
もちろん、メジャーに行くことがいいこととは限りませんが、「世界の舞台で戦う勇人の姿を見たかった」という気持ちもあったようですね。
私個人としては、日本で最後までプレーしてほしいと思っていますが、バケモノ揃いのメジャーでショートとしてプレーする坂本という世界線を見てみたいと考える人も多いかもしれませんね。
金沢成奉元光星学院高校野球部監督
そういえば、坂本から「メジャー」という言葉が出たことはほとんどないように思いますが、坂本の恩師である金沢成奉さんが興味深い話をしていました。
坂本は今でも自分がうまいと思ったことがないと言っており、金沢さんも坂本から「メジャー」という言葉を聞いたことがないそうです。
もしかしたら坂本は、自分がメジャーのレベルに達していないと考えているのではと金沢さんは推測していました。
しかし、自分が下手だと思うからこそ、山田や筒香といった年下の選手にアドバイスを求めたり、打法すら変えることができるのだと金沢さんは分析しています。
光星学院時代、1年秋からショートのレギュラーとして活躍していた坂本。
当時の坂本は本当にワルで、指導というよりも戦いだったと金沢さんは振り返っています。なんとか生活態度を改めさせようとする金沢さんの前に、鼻ピアスをして野球を辞めると言ったこともあったそうです(笑)
「やる気にさせようとしてもその手には乗らない。俺がプロに行けるわけがない」と言っていた坂本がNPB歴代最高のショートになったのは、金沢さんが坂本を諦めなかったからかもしれませんね。
元々、ヘッドが下がり気味で人と違う打ち方だった。直そうとも思った。けど光星学院高の金沢監督は「直さなくていい。それがお前の良さだから」と言ってくれた。「お前はボールのラインに合わせて打ちにいけ」と。ありがたかった。僕には「上からボールをたたけ」と言うことはなかった。あそこで、もし違う打ち方をしていたら、今の僕はなかった。
坂本勇人を支えた家族、仲間、指導者
こうして話をまとめていくと、坂本が本当に人に恵まれていることがよく分かります。
まず、坂本の負けん気の強さを形成したのは、「よその子に負けるな」といつも言っていたお母さんの存在が大きいでしょう。
また、坂本自身が世代最高クラスの素質を持っていたのに、それ以上の素質を持つマーくんに出会えたことも、彼の成長にとって重要な要素だったと思います。
さらに、素晴らしい先輩や指導者に恵まれたことも、坂本の才能を開花させる上で欠かせない要因だったのでしょう。
まさに、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。」というように、坂本は天時、地利、人和のすべてに恵まれた選手だと言えますね。
坂本勇人は『持っている』選手?
1年目の5月12日の姫路での試合で、最初で最後の生観戦をしたお母さんの前で初回ツーランホームランを打ったこと、優勝争い終盤の劇的決勝打となったプロ初安打を打ったこと、そしてこの試合できっちり2000本安打を決めたこと。
これらの出来事は、坂本が普通の人が持ち合わせていない特別なモノを持っていることを示しています。
かつての同僚や阿部、そして多くのファンが「坂本は『持っている』選手」だと言っていますが、本人は「よく『持ってる』とか言われるけど、何が?という感じ。勝負強いね、と言われるなら分かるけど」と報知の記者に語ったそうです。
ここぞという大事な場面で最高の結果を出せるのは、日々の厳しい練習と準備があるからこそ。「運」みたいなものだけで片づけられるのは、坂本にとって納得がいかないのかもしれません。
それでも、やはり彼は『持っている』選手だと私は思いますけどね(笑)
さいごに
長くなりましたが、坂本選手、2000本安打達成本当におめでとうございます!
後は最高の状態で日本シリーズを迎え、最高の結果を残すだけですね。
チームの状況は良いとは言えませんが、坂本の記録達成をきっかけにチーム全体の士気も上がってくれればと思います。
ところで、原監督のスピーチの最後は面白かったですね!
原監督の「最後に」という言葉から、まさか…?と何かを感じ取った菅野選手は、予定外の無茶ぶりに心底嫌そうな顔をしていました。このシーンは面白くて、何度も見返してしまいました。
あれは甥っ子だからこそできるリアクションでしたね。
一方、終始ニコニコしていた坂本選手の姿も印象的でした。
読売ジャイアンツは、本当に素晴らしいチームだと改めて感じました!!
コメント
もう何と言ったらいいんだろう、坂本は凄すぎるよね!ヤンチャなエピソード含め、人間力というのか、ただただ凄い人間だなとしか思えない。今回、坂本に関しての色んなエピソードを知るにつけ、人間臭さ含め、ここまで完璧な人間ているんだなと、ただただ感心することしきりです。すでに伝説の人物の域に達してるのではないかと思うくらいです。そのうち坂本の伝記本なんかも出版されるでしょうけど、是非これからの少年少女達に読んでもらって、人生のバイブルにしていただきたい。
恥ずかしながら巨人ファンさん、コメントありがとうございます。
昔のエピソードが出てくるたびに全部「やんちゃだった」って言われてるの面白いですね(^^)
当時の坂本を取り巻いていた大人たちの苦労がしのばれます(笑)
でもそんなやんちゃな坂本だからこそたくさんの人と繋がれたんでしょうね。
坂本の伝記本、私も読みたい!
一打席目で決めるのは流石坂本ですね。個人的には本拠地では無理かと思ってました。3000本も大怪我がなければ達成出来ると思いますが、45歳ぐらいまで頑張ってほしい! ただそのあとの田中、もう擁護する余地も無かったですね。まさかここまで打たれ弱いとは…。ちょっと失望しましたね。横川君はスライダーのキレを磨いて、真っ直ぐが148ぐらい出れば面白いピッチャーになるかもですね。
Fujiwaraさん、コメントありがとうございます。
みんなあと1本となると足踏みしたりすることもあるので坂本も苦戦するのかな~と思いましたが、彼はやっぱり違いましたね(^^)
ここぞというタイミングで颯爽と決めてくれます!
勝ちゲームにできてたら最高でしたけどね~。実に残念でした。
田中もあまりに叩かれすぎてちょっと気の毒ではありますが、ああいう場面できっちり抑えられる投手になってほしいですね!
なんたって19番背負ってますから!
Minamiさんこんにちは。
日本最高のスーパースターがまた一つ球史に記録を刻みましたね。
坂本に人徳があったからこその人の和なのでしょうね。
ドームで流された映像は記録までを振り返るだけのムービーだったのにまるで引退のような気持ちになり少し涙が出ました。
いつまでも元気でプレーしてもらいたいものです。
トラウタニさん、コメントありがとうございます。
同じく…私もウルウルしてしまいました!引退するわけでもないのに(笑)
でもこれまでの頑張りを想像するとどうしても感極まってしまいますね。
あとはずっとジャイアンツにいてくれてありがとうっていう感謝の気持ち(^^)
まあ、坂本神はまだまだこれからですから!きっと3000本も達成してくれると信じてます!