野球関連の本は毎月チェックしていて、気になった本があれば買っているのですが、なかなか読書をする時間が取れず積読は増えるばかり。
今回の大型連休で、やっと一冊読み終えました。
前世記憶を持つ野球少年の物語
本のタイトルは『ぼくはのっぽの大リーガーだった-前世記憶をもつ野球少年の、真実の物語-』です。
この本は、2歳の男の子が到底知りえるはずもない大リーガー『ルー・ゲーリッグ』の真実を語ったことから始まった奇跡の数々を母親が書き下ろした体験記です。
わずか2歳という年齢で、天才野球少年クリスチャン・ハープトは1920年代から30年代にかけて野球選手だった記憶を鮮明に語りだした。
全国を旅したことから、ベーブ・ルースとの激しい対立まで、アメリカの英雄であり野球レジェンドであるルー・ゲーリッグの人生について、当時の少年には知りえないことを史実どおりに話しだしたのだ。「ぼくはのっぽの大リーガだった」より引用
アメリカの英雄となった"鉄の馬"の人生
まずは、この本のキーパーソンとなるルー・ゲーリッグについて紹介していきたいと思います。
ルー・ゲーリッグ(本名ヘンリー・ルイス・ゲーリッグ)は、1920年代から1930年代にかけてニューヨーク・ヤンキースで活躍したメジャーリーグベースボール(MLB)の偉大な選手です。
"ルー"という愛称で親しまれた彼は、「歴代最高の一塁手」とも呼ばれています。MLBファンなら、彼の名前を知らない人はいないでしょう。
ルー・ゲーリッグは、1927年のニューヨーク・ヤンキースの「殺人打線(Murderer’s Row)」と呼ばれたMLB史上最強のチームの一員でした。
彼は4番打者として、3番のベーブ・ルースとともにチームの中軸を担いました。
この年、ヤンキースは110勝44敗という圧倒的な成績を残し、アメリカンリーグ(AL)で2位のアスレチックスに19ゲーム差をつけて優勝しました。
ルースはシーズン60本塁打164打点、ゲーリッグは47本塁打175打点という驚異的な数字を記録。
ワールドシリーズでは、ナショナルリーグ(NL)のパイレーツを4連勝で破り、ワールドチャンピオンに輝きました
2.遊 マーク・ケーニッグ .285 3本 62点 OPS.702
3.右 ベーブ・ルース .356 60本 164点 OPS1.258
4.一 ルー・ゲーリッグ .373 47本 175点 OPS1.239
5.左 ボブ・ミューゼル .337 8本 103点 OPS.902
6.二 トニー・ラゼリ .309 18本 102点 OPS.866
7.三 ジョー・ダガン .269 2本 43点 OPS.683
8.捕 パット・コリンズ .275 7本 36点 OPS.825
ゲーリッグは、1923年から1939年までの17年間で、三冠王1回、アメリカンリーグ(AL)MVP2回、首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回という華々しいタイトルを獲得しました。
また、2130試合連続出場という当時の世界記録も樹立。その頑丈さから、"鉄の馬(Iron Horse)"という愛称で親しまれました。
この連続試合出場記録は、日本では1987年に衣笠祥雄に、MLBでは1995年にカル・リプケン・ジュニアに更新されました。
しかし、ゲーリッグはただ出場するだけでなく、常に高い打撃力を発揮しました。生涯OPSは1.080という驚異的な数字で、歴代3位の記録です。
感動の名スピーチと早すぎる死
ゲーリッグの連続出場を止めたのは、「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」という難病でした…。この病気は、現在でも治癒法が見つかっていません。
1939年6月21日、ヤンキースはゲーリッグの引退を発表。翌月の7月4日には、「ルー・ゲーリッグ感謝デー」として、ヤンキー・スタジアムで式典が行われました。
そのときのゲーリッグのスピーチは、歴史に残る名スピーチとして有名で、感動的で力強いものでした。
【ルー・ゲーリッグスピーチ|MLB公式】
ファンの皆様、ここ2週間に私が経験した不運についてのニュースをご存知でしょう。しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています。私は選手として球場へ17年間通い続けてきましたが、いつもファンの皆様からご親切と激励をいただきました。
……こちらにいらっしゃる偉大な方々をご覧下さい。例え一日でもこのような方々とともに同じ場所にいられることは最高の栄誉ではないでしょうか? 私は間違いなく幸せ者です。ジェイコブ・ルパートと知り合えて名誉だと思わずにいられない人がいるでしょうか? 最上の野球帝国を築き上げたエド・バローと知り合えたことを名誉だと思えない人は? 6年間過ごしてきた素晴らしい小さな仲間でもあるミラー・ハギンスと知り合えたことは? その後の9年間を、卓越した指導者であり、人の心理を読むことに長けた、知る限りもっとも素晴らしい監督のジョー・マッカーシーと知り合えたことを名誉と思わない人は? そんな人はいないでしょう。私は間違いなく幸せ者なのです。
……ニューヨーク・ジャイアンツという、常に闘争心を駆り立ててくれたチームの選手から贈り物をいただき、グラウンド整備の担当者やホットドッグ売りの少年たちからも記念のトロフィーを貰えるなどということも素晴らしいという以外にありません。妻との口喧嘩の際に自分の娘よりも私に味方してくれた素敵な義母、さらに両親が懸命に働いてくれたおかげで私が教育を受けられ、そして立派に育つことが出来ました。私は神の祝福を受けたのです。比類のない強さを持ち、考えていた以上に勇気のある女性を妻に出来たことほど嬉しいことはありません。
……つまりは、私を不運だとおっしゃる方もいるかもしれませんが、数え切れないほど多くの人々からの愛情を受けている私の人生は本当に幸せなものなのです。
……ありがとう。
ゲーリッグは引退からわずか2年後の1941年6月2日に37歳で亡くなりました。
彼は才能あふれる選手でしたが、あまりにも早くこの世を去りました…。
ルー・ゲーリッグ・デーでALSと闘う人々を支援
彼の功績は今も多くの人に感動を与えています。
2021年6月2日(現地時間)には、MLBで初めて「ルー・ゲーリッグ・デー」が開催されました。この日は彼の死去した日でもあります。
このイベントでは、彼を讃えるとともに、ALSと闘う人々を支援するために、各球団の選手やスタッフは、彼の背番号「4」にちなんだ「4-ALS」のロゴが入ったワッペンやリストバンドを身につけました。
→ALS患者に勇気を与えた“鉄馬”ルー・ゲーリッグを称えて――MLBで初の「ゲーリッグ・デー」が開催|THE DIGEST
天才野球少年クリスチャン・ハープトの前世の記憶
2歳や3歳の頃の記憶をはっきりと鮮明に思い出せる人っているんでしょうか?
私自身はほとんど覚えていません。
何に夢中になっていたのか、何が好きで、何が嫌いだったのか、わずかな記憶がありますが、それも両親や祖父母から聞いたことを自分の記憶として保存しているだけなのでしょう。
そんな幼児期に、ある男の子が野球に夢中になりました。
彼の名前は「クリスチャン・ハープト」です。
おむつをしていた頃から、野球の試合を見て選手たちの動きを観察し、毎日その動きを何時間もまねていたそうです。
歩けるようになると、どこに行くにも小さな木のバットを持ち運び、2歳になる頃にはユニフォームとスパイクを着用して、母親とキャッチボールに明け暮れていたといいます。
ドジャースの始球式に立った3歳児
その異常なまでの野球への関心が、母親のキャシーに行動を起こさせました。
キャシーは子煩悩であり、クリスチャンの才能を多くの人に見てもらいたいと思いました。そこで彼女は「ドジャースの始球式のマウンドに立たせる」という計画を立て始めます。
一般的な感覚からはとんでもない計画でしたが、キャシーはUCLA卒でMBAを取得するほどの才女でした。人脈も広く、バイタリティに溢れる彼女は、あらゆる手を使って計画を実行に移し、達成していきました。
そしてついに、クリスチャンはドジャースの左腕エースであるクレイトン・カーショウの力を借りて、ドジャース・スタジアムのマウンドに立ちました。
クリスチャン・ハープトはほんの三歳なのだ。これは誤植ではなく、本当にわずか三歳なのだ。そしてその完璧な動きで――少なくとも天才児として――彼は球をより強く、より遠くまで投げた。チャベス渓谷でのシーズン中、始球式の投手に選ばれた男性と女性、そして子供のほぼ誰よりも。
「ぼくはのっぽの大リーガだった」より引用
クリスチャンの記事を持つカーショウ
その始球式の写真はインターネット中に広まり、FOXスポーツのトップ写真としても取り上げられました。
画像:「ぼくはのっぽの大リーガだった」
この始球式の様子やクリスチャンが野球をしている姿などはキャシーによってYouTubeにアップされています。
本来、これくらいの年齢の子供がどの程度野球ができるものなのかがわからないのですが、一般的な子供と比べて驚く程"野球の動き"ができているように見えました。何より肩の強さに驚かされます。
本当の名前はルー・ゲーリッグ
野球に縁がない家庭に育ったキャシーは、息子のクリスチャンが野球に夢中になるのが不思議でした。彼女は野球のルールもよく知らず、夫も野球に興味がありませんでした。
それなのに、クリスチャンは野球への関心が異常で、野球センスも抜群でした。
ある日のこと、そんなキャシーをさらに驚かせるような出来事が起こります。
「ママ、ぼく、のっぽの野球選手だったの」
「そうね、いつかのっぽの野球選手になるわ」
すると息子はとても怒った表情で、足をバンバン踏み鳴らしながらわめいた。
「ちがうってば! ぼく、のっぽの野球選手だったの――パパみたいにのっぽの!」
息子は私に何を言おうとしているの? つまり……まさか……以前の人生で自分はおとなだった、って言おうとしているの?「ぼくはのっぽの大リーガだった」より引用
母親を驚かせた過去生の告白
突如、自分が"のっぽの野球選手"ルー・ゲーリッグであったと話し出すクリスチャン。
キャシーは敬虔なキリスト教徒で、「輪廻転生」を信じていませんでした。
仏教が広く普及している日本では「輪廻転生」を信じる人も多いですが、キリスト教徒は「死後は神のもとに召され、やがて訪れる"復活の日"まで天国で過ごす」と考える人が大多数です。
しかし、息子クリスチャンは自分の前世の記憶を語り始め、インターネットで検索しても見つからないような事柄を詳細に話しました。
キャシーは、クリスチャンの言うことを真に受けざるを得なくなりました。彼女は、自分の信仰と息子の記憶の間で揺れ動くことになります。
その後、徐々に明らかになっていくクリスチャンの過去生の記憶…
これ以上はネタバレになってしまうので、ストーリーを書くのはここまでにしておきます。
前世の記憶を持つ子供たちと共通点
クリスチャンと同じように前世の記憶を持つ子供は世界中に数多く存在するそうです。
それらの子供に共通しているのは、2~3歳頃から前世の記憶を話し始め、6歳頃…遅くても8歳頃にはその前世の記憶が消失することです。
さらに過去生の人物の多くは若くして非業の死を遂げていることが多いというデータがあるようです。
輪廻転生を研究する学者たち
これらの「生まれ変わり」や「転生」現象はヴァージニア大学精神科の主任教授だった「イアン・スティーヴンソン」(1918~2007)が研究を開始し、現在は同じくヴァージニア大学の「ジム・タッカー」が引き継いでいます。
ちなみに、ジム・タッカー博士はこの本にも登場し、重要な役割を担っています。
さいごに
『ぼくはのっぽの大リーガーだった-前世記憶をもつ野球少年の、真実の物語-』は、野球の話というより過去生や輪廻転生といったスピリチュアル的な話がメインです。
著者のキャシー・バードの考え方や行動、価値観が合わないと思う人も多いかもしれませんし、翻訳もなんとなく人を選びそうな感じではあります。私はちょっと苦手。
そのため、個人的にはあまりピンとくる内容ではありませんでしたが、かつてのMLBスターたちやカーショウやラソーダ等、日本でも知名度の高いMLB関係者のプライベートな部分やアメリカの慣習など、物語の背景としての情報は非常に興味深く読むことができました。
この本は表紙でも紹介されているようにハリウッド映画化が決定しているようなので、日本の映画館で上映されることもあるかもしれません。
気になった方はぜひ読んでみてください。
コメント