今季のジャイアンツから引退を表明した二人のベテラン、梶谷隆幸選手と立岡宗一郎選手。
今回は特に私の印象に残っている立岡の16年間の選手生活を振り返ってみたいと思います。
秋山幸二2世と呼ばれた高校時代
熊本の鎮西高校出身の立岡は50メートル6秒を切る俊足と最速147キロの強肩を持つ超高校級の選手として注目を集めました。
同郷の秋山幸二さんになぞらえて「秋山幸二2世」とも呼ばれ、2008年にドラフト2位でホークスに入団。外野手指名でしたが、意欲的な姿勢で自ら遊撃手への転向を宣言し、練習を見た秋山監督からも守備を高く評価されるほどでした。
ホークス時代の苦労が礎に
しかし、当時のホークスには1歳上の中村晃、1歳下のドラ1・今宮健太、さらには柳田悠岐と後にホークスの黄金時代を築く逸材が揃っていました。
二軍でさえ出場機会を得るのが難しい環境の中で、立岡は「自分は下手なんだからとにかく練習しなくちゃ」という思いを胸に刻み、その姿勢を引退まで持ち続けることになります。
ジャイアンツでの度重なる試練
2012年、4年目のドラ2選手を放出するという異例の判断でホークスの親心とも言えるトレードによってジャイアンツへ移籍。
しかし、その直後に左肘じん帯断裂で右打者から左打者への転向を余儀なくされました。現在のきれいな左打席を見るともともと左打者だったと思われがちですが、実は強打の右打者だったのです(高校通算28本塁打)。
その後も2020年の右手有鈎骨骨折、2022年の左ひざ前十字じん帯損傷と度重なるケガに見舞われ、本人も「ほぼほぼ健康なじん帯が残っていないんじゃないか」と苦笑するほどでした…。
数字では語れない価値
通算成績は498試合で打率.245、4本塁打62打点と控えめな数字に見えます。
しかし、身体能力の高さと打球判断の良さを活かしたセンター守備は素晴らしく私も大ファンでした。その守備技術の高さは久保田スラッガーから「立岡モデル(ST39)」のグラブが発売されるほどの評価を受けています。
久保田スラッガー契約選手には近本、木浪、中野といった主力級の選手たちが名を連ねる中で、規定打席未到達の選手が専用モデルを持つことは彼の守備の価値を物語っています。
チームにとっても立岡の存在価値は大きく、特に亀井コーチや阿部監督からの信頼は厚いものでした。
実際、2022年6月に左ひざ前十字じん帯損傷の大ケガを負った際には亀井コーチがその後のチーム低迷の最大の要因として立岡の離脱を挙げています(月刊ジャイアンツより)。
信頼できるバイプレーヤーの離脱により、チームの安定感が大きく損なわれたとのことでした。
誰もが尊敬する姿勢
守備技術の高さもさることながら、私が立岡を特に応援するようになったのは彼のどんな状況でも一生懸命努力する姿を見てからでした。
ジャイアンツの公式YouTubeで10歳以上年の離れた若手選手たちと練習する立岡の姿を見たことがあります。
多くの選手なら「恥ずかしい」「情けない」と感じてしまいそうな状況でも、常にポジティブな姿勢を保ち続ける姿は本当に尊敬に値するもので、自分もこうありたいと強く思わされました。
そんな立岡の言葉で最も印象に残っているのは「競争が激しい中でどうやって自分の価値を出すか一生懸命毎年考えている。正直苦しいことばっかりで…でも、いつかこういう日が来ると思って練習を頑張ってこられた」というヒーローインタビューでの発言です。
桁違いの能力を持つスーパースターたちが存在する中で、自分らしい形で価値を見出し続けた姿勢に私は心を打たれました。
コーチとしての新たな挑戦
現役引退後は3軍の外野守備兼走塁コーチとして若手の指導にあたることが決定しています。
走攻守で高い技術と経験を持ち、度重なる苦難を乗り越えてきた「不屈」の精神を持つコーチの誕生は球団にとって大きな財産となるはずです。
あとはコーチとして必要な知識や経験を身につけていずれは1軍で選手たちの力になってほしいですね。
16年間のプロ野球人生、本当にお疲れ様でした!
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